彼はパリの裕福な家庭に生まれ、両親は敬虔なカトリック教会 カトリック教徒であった。母親からピアノの手ほどきを受け、後にスペインの名ピアニスト、リカルド・ビニェスにピアノを師事し、シャルル・ケクランから作曲を学んだ。ビニェスの紹介によってエリック・サティ、ジョルジュ・オーリックら後のフランス6人組のメンバーと出会い、詩人ジャン・コクトーらのサロンに出入りするようになった。24歳のとき、バレエ・リュス ロシア・バレエ団を主宰するセルゲイ・ディアギレフの委嘱によってバレエ『牝鹿』を作曲し、翌1924年にロシア・バレエ団によってそれは初演されたが、脚本はコクトー、舞台と衣装はマリー・ローランサン、振付・主演はブロニスラヴァ・ニジンスカによるという極めて豪華なものだった。以来、軽妙洒脱で親しみやすいその作風は大衆に喜んで受け入れられたが、作曲活動だけでなく、バリトン歌手ピエール・ベルナックとによる自作歌曲のピアノ伴奏をはじめとして積極的に演奏活動もし、録音も残されている。



