大樹公 (Wikipedia)
『征夷大将軍』より : 征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)は、令外官の将軍職の一つ。奈良時代から平安時代には東国に派遣された将軍の呼称の一つであった。鎌倉時代以降江戸時代に至るまでは武家の棟梁に与えられ、略して将軍、公方、大樹、大樹公、御所などとも呼ばれた。
「征夷」とは、「夷を征する」の意味。征夷大将軍は、「夷」征討に際し任命された将軍の一つで、太平洋側から進軍する軍隊を率いた。日本海側を進軍する軍隊を率いる将軍は鎮狄将軍(ちんてきしょうぐん)と呼ぶ。これは、「東夷・西戎・南蛮・北狄」と呼ぶ、大陸の「四夷」をあてはめたためと思われる。なお、当初は「征夷」と呼ばれていたが、宝亀以降「征東」となり、延暦12年以降再び「征夷」となる。「征夷将軍」の初見は、養老4年9月29日に任命された、多治比縣守であり、「征東大将軍」の初見は、延暦7年12月7日に辞見した紀古佐美である。将軍の名称は、記録上あまり統一されておらず、例えば藤原宇合の場合は、任命時は「持節大将軍」であり、帰京時は「征夷持節大使」となっている。




























































